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さんかく座銀河

毎日ごきげんに暮らしたい

コミュニケーション

‪相手にモヤモヤすることがあるのに本人に言わず、自分の中や友達へ愚痴ることで消化、発散していては、本人との関係は築けないのだな。それが出来なくて怒られてたんだな、ということがやっとわかった。それは自分が未熟で反省すべき点だった。‬

 

萎縮せず話せる相手ではもはやなかったことも、関係の悪化に繋がった。

 何言ってもお前は変わらないだろ、という諦めもあった。自分の言葉を上手く伝えられなくなってたから、思うところはいっぱいあって。相手の言葉に耳を真面目に傾けることをしなかったからそれは暴力になった。

 

 

相手は私に対するアウトプットの方法をずっと間違えていた。正論でボコれば伝わると思っていたが、もうそれは私にとってはただの理解不能な暴力でしかなかった。

  

自分が昔されたやり方と同じように、正論で人をボコって相手に何も言えなくして突き放すというのをやってしまったんだけど、これすごい体力使うし、反省するし、もっと他の言い方があったと後悔する。感情込みの正論をぶつけらるのは相手に対する敬意の欠如と甘えだ。

こいつになら、この言い方でも許される、そう思ってアウトプットが雑になる。例えばこれが取引先なら、感情を交えず論理で解決に導くやり方を提案するだろう。雑なアウトプットはコミュニケーションとして成り立たないから、どちらかが我慢というかたちで解決させるしかなくなる。

我慢を選んだ方も悪い、我慢を選ばせた方も悪い。コミュニケーションを塞いだのはわたしで、同じ方法であるコミュニケーションをとり続けようとしたのは相手だ。

 

とにかくわたしは未熟だった。

再三言われてたことに今更気がつく。

コミュニケーションを諦めて背を向けたのは本当にダメだった。

お供え

親戚の娘さんの葬儀に行った。

脳梗塞で倒れ、意識のない植物状態で数年。倒れたのはちょうだ今のわたしの年と同じくらいのときだ。周りの誰もそんなこと、想像しなかったのだろう。本当に、いつだれがどこでどうなってもおかしくない。

 

久しぶりに亡くなった人の顔を見る。

お人形のように美しく化粧をされていた。きっと触れれば体温はないんだろう。お花を棺に入れるとき近くまで行ったけど、あまりにも何年も会っていない親戚で、触れるのもおこがましいように思えたので、供えてすぐ去った。

 彼女の両親が棺に手をあわせるのを見た。くしゃくしゃのおばあさんが、ツヤツヤの頬を撫でるのを見た。親より先に死ぬのはやめておきたいな。

   

社会人になってからお葬式何回行っただろう。それでも2回くらいかな。

 

死ぬことはすぐ近くにある、と意識して生きているほうだと思う。昔から。

親もいつ死ぬかわからない。

ただ、不慮の事故や突然の病気では死んでほしくないな。

 

生業と仕事は違う

転職活動でもきくんだろうな、この言葉。

 

日記続かないから、毎日感じたことを書き留めるだけでもしていく。

 

今日、おはかまいりにいった。

髪にパーマをかけた。

 

おばあちゃんにストールをあげた。

初めてプレゼントくれた、と、喜んでいた。カシミヤにした。色がいい、と褒めてくれた。嬉しく照れ臭かったのですぐお風呂に直行した。

 

転職活動はせず、本を読んでいた。

たっけぇ美容液のおかげで肌がツルツルになってきた。

 

心理学の本はまだ読み終わらない。

 

昼寝をしていたら大口開いて寝ててショックだった。

 

後輩のトップ画が私の描いた絵だった。

嬉しくてちょっと泣いた。

 

やっぱなぁ、こういうことを仕事にするのが1番いいのかな、と思った。

 

イラストレーターでは最初から食っていけなくても、仕事としてやってみてもいいんじゃないかって思った。

 

  

明日懐かしい人と会う。

 

 

生きていると切ない記憶ばかり増えていく

記憶は切ないものだと思う。

幸福な思い出や、辛かった思い出も、いまでこそ蒸し返して思い出すようなことはしなくなったけど、やはり思い出すときはいつも切ないものだ。

逆説的に、感傷的になったときに思い出されるのが思い出なのかもしれない。

 

今日は会社帰りにいきなり、小学校時代の友人たちの飲み会に誘われた。

その中に私の大好きだった人もいた。8年間好きだった人。

思春期の8年間は大きい。心や身体の距離が一番近かったのは、大学生の時の恋人たちだけど、依存や執着という言葉さえも知らないで、ただただ好きだった人だった。

 

誘われて、会う前は「もう今日死んでもいい神様ありがとう」と思ってたけど

会ってみたらそうでもなかった。そうでもなかった、というのはいい意味でも、悪い意味でも。やっぱり昔の話だとしても告白した手前多少気まずかったのかもしれない。

けど、みんなで一緒に遊んですごく楽しかった。小学生の時みたいに。

ただ、私の”好きだった人、は相変わらず”好きだった人”だった。

 

一緒に遊んで、あの頃のあだ名で呼ばれて少しだけ嬉しくて、

シーソーに乗って、近い距離は”まじか”とは思ったけどドキドキとかはなくて、

また会えて良かったなあと素直に思った。

空のコップに水を注いであげていて、相変わらずよく気がつく。

こういうところが好きだったんだよな、と思い出す。

今のその人の性格も何も知らない。もう知ってることのほうがずっと少ないのだろう。

けどきっと今話しても、恋愛感情抜きで、ああこの人好きだな、と思うんだろうな。

 

好きだった人、はもう4年かそこら付き合ってる彼女の車で帰って行った。

SNSで顔は知ってたけど、予想通りの感じの女の子だった。

幸せになるんだろうな、この二人、となんとなく感じた。

幸せになってほしい、なんてことはおこがましくてとても言えない。

今日の自分の気持ちとして、相手に何も求めることはなく、ただただ、相手が自分にとって元気をもらえる存在であること、を嬉しく思った。何にも求めなくて、ただその人がその人らしく暖かく生きていること、元気でいること、それで私は嬉しい、私の生きる糧となる。

それが一番フラットな好きの気持ちなんだろうな。

そういう人とわたしも幸せになりたいな、と思えました。

 

子供抱っこしてまたみんなで会いたいな。叶いますように。

ぼんやり3連休

こんばんわ

 

3連休の最終日をほぼ寝て過ごしました

こんな休日も良い

頑張らなきゃと思って生きていたけど私は本来できることならだらだらサボりたい

休日は家から出ない引きこもりでいるのが好き

一日中ネットサーフィンをするのが好き

こんなことが好きだというの、ダメ人間のように思えてたけど

そんなに気構えなくてもいいんだ

日々頑張って生きてんだ

とおもって精一杯だらだら過ごした。

 

ただ一日中引きこもっていると余計なことも考える

 

例えば1年前の今日は元カレと最後になったデートをしていたとか。

日々思い出さないように生きているけど、未だに毎日浮かぶ。

頭の中で喋り出す彼の説教も減ったけど、まだ時々苦しむ。

 

情けない話だけど、執着以外の何もかもの気持ちは忘れて生きている。

多分心の中を探れば、悲しいとか悔しいとかなんでだよとか、

腑に落ちない気持ちがたくさんあるんだと思う。

けれどそれらを深追いすると未だに傷ついてしまうから、

すべて恨みに変えて過ごしている感じ。

 

今日大学の先輩から電話があった。

夏休みにサークルみんなで遊びにいこうという話。

先輩やほかのみんなとは遊びたいけど、元カレと関わりのある存在の人とは

関わりたくないという気持ちが大きい。

まったくその話題に触れられない、はずがないので。

 

今日も電話で、大丈夫?メンタルやられてない?と声掛けをいただいた。

もう別れて一年も経ってるのに未だに引きずってると思われてるのか。

それともわたしがまた”メンタルやられる”ような何かが

私の知らないところであったとか?と、心配してもらっているのに邪推をしてしまい、

その一言にメンタルがやられた。

 

もうこれ以上メンタルがやられる、ことといえば

元カレが結婚するとかそんなことなんだろな

 

ああこれで本当に結婚だったらわたし死ぬな

いや死にはせんな

 

なんか未だにこんなこと考えてるのほんといやだな

そんなこと考えて1年間すごしてる

 

 

この一年間泣いたり耐えたり恨んだり前向きになったりいろいろしてきて

今はもう考えても居たくないのに思い出す

封印してるのがダメなんだろうか?

 

むしろ写真とか見て泣いて泣いてすっきりするほうがこの毒みたいな気持ちは抜けるのかな、と思うけどそれも違う気がする。

 

こんな鬱屈してる自分が一番嫌なんだろうな

別に彼がどうとかじゃなくて。

そのために先んじて転職かな、とおもっています。

ちょっとだらだらしすぎだここでは。

あと元カレといた時に決めた生活で今後も過ごしたくない。

これは本当にバカだけど、元カレと地元が同じため、地元での就職を選んだ。

 

 

もしいつか会う機会があって蹴飛ばすにしても自分が蹴飛ばすに足る生活をしていないとおもいっきりフルスイングで蹴飛ばせないでしょうってことだ。

 

失恋をどうにかするには時間ももちろんだけど

自分の環境を変化させていかないと、もうここではこれ以上変わらないと思う。

 

毎日しんどい。アホみたいだけどまだ思い出す。頭の中でモラハラ彼氏が説教しだす。

でもニコニコさわやかな笑顔の姿を思い出す。楽しかったのと、苦しくてしんどかったの両方を思い出す。もういい加減振り払いたい。奥底に眠らせたい。

 

 

期限を設けよう。

あと半年。

 

この期限が過ぎるまでに全部振り切れるよう。

 

 

 

ハローグッバイ

24歳の誕生日(干支も二週目)

新月

月曜日 

 

ということで、期日的には全ての始まりになるような1日

インターネットもやっと繋がったのでブログも書き始めてみる。

昨夜、新月の夜に願い事をすると叶う、というジンクスをネットで

目にしたので、早速願い事を紙に書いてみた。わりと星占いの類は信じている。

 

蟹座の特性、感情の海に浮かんだ船のような性質を持っている。

と書かれている。「港」があってそこに碇を下ろしているときは安全で安心ですが、

一旦沖に出ると波や海流や風の影響をもろに受ける。「不安定」になりやすい。

 

耳が痛い。ネットは耳が痛いことも平気で言ってくる。

 

最近は感情が特に不安定のため、きっと沖なんだろう。

感情だけじゃなく集中力も散漫だ。今もキーボードを打つ手を止めて

爪を切っていた。自分が少し気味悪い。

 

今は毎日会社員やってる。楽しいことはやりきれない。

 

久しぶりにパソコンをつけたら、自分が昔からずっと書き込んでいた日記のようなもの(alfoo)が消えていた。ログも消えた。

 

これで中学生の頃からの毒の掃き溜めや、高校の浮かれた日々、受験の日々の後も残らなくなった。ごく最近の愚痴も弱音も。

私は日記を読み返すのが好きだ。自分の感情や考え方の推移であり、過程だ。

忘れっぽくてすぐ昔のことを忘れてしまうから、大事な記憶管理ツールでもある。

 

でも、忘れていっていい記憶は捨てずとも忘れる。ああもったいない消えちゃって、など思わなくなった。ただ、まだ消化しきれていない過去はまだ捨ててはいけないと思う。まだそこから学ぶことはあるから。

 

夜の散歩を久しぶりにした。

なんだか新しいステージに進まなきゃいけない感じがして。

川沿いを歩くのが好きだ。

 

散歩の帰りに、自分が歌っている動画を見た。

いろんな意味を込めて特定の誰かに投げつけた歌だったけど、

改めてそれを聞くと

私は自分に聞かせるために歌ってたんだなと気がつく。

言い聞かせるみたいに。まだ決断もできない苦しいきつい日だったけど、

意地でも振り切ってやろうと頑張ってた姿が映ってて、

 

この私に背は向けられんな、と思った。

この1年私はとてもとてもとっても頑張ったんだと思う。

とても辛かった。ご飯が喉を通らない、を初めて経験した。

心臓がねじれて死ぬかと思ったし、

毎日胸部が痛んだ。眠れなかった。仕事は1日も休まなかった。

泣きながら何回家に帰ったか数えられないし、嫌な夢もなんども見た。

 

でもわたしが思う悪いことは一切していないと言える。

タバコは時々吸った(これは許して)

自分を嫌いになるようなことは、しなかった。いや、嫌いになった日もあったけど

ずっと後悔の残るようなことはしていない。忘れる程度のことだ。

 

23歳の1年は、耐える、辛抱するような1年だったかな。

躍進、とかそんなすごいもんじゃない。ただただ、耐えるためにいろんなことを

始めただけだ。種はばらまいた。今年は育てることだな。

今からが大事なんだろう。

 

まだ大荒れの海の中だから、きっとそんなにすんなりうまくはいかないけど、

この1年うまく耐えたように、ダメなときは身を縮めつつ、

もっと遠くまで歩こうと思う。